鍋島緞通の歴史

今から約三百年程前の江戸元禄時代、創始者の古賀清右衛門が外国人よりその技法を学び、織り始めたと言われています。

その評判を知った佐賀藩三代藩主鍋島綱茂公は扶持米を与えて技術を保護し、一般への売買が禁じられ幕府や諸大名家への献上品・贈答品とされました。

当時は鍋島緞通では無く、「花毛氈」・「扇町毛氈」などと呼ばれていたようです。

明治以降は売買も自由になり、戦時中も技術保存の為の制作がみとめられたものの、今ではわずかに数件を残すのみとなっています。

 


素材

制作者


佐賀では室町時代から有明海沿岸を干拓してきました。

土の中の塩分を抜き、稲作が出来る様にするために木綿を植えていたそうです。その綿を使って当時の緞通は作られていました。現在ではほとんどを輸入の木綿に頼っています。

江戸時代の鍋島緞通(当時は花毛氈)は、藩の大切な献上品であった為、その制作は藩士の仕事だったそうです。

現在では女性の織りての方が多い様ですが・・・